安倍元首相の銃撃事件の当初より、犯人が追い込まれた日本社会の孤独(こういう犯罪を生む日本社会の孤独)という観点からの意見も沢山あった(ー>「安倍元首相を悼む」)が・・
その人を取り巻くコミュニティとか環境といった話になるといつも思うこと。たいした話ではないんですが、結構昔から考えていること。

甲子園に行ける子や東大に合格する子は、もちろん本人の努力の結果ではあるが、努力、素質、環境のどれが欠けても非常に困難だったはずで、個人としては授かった素質や環境への感謝も忘れずにいるということが大事。
ということは上野千鶴子先生(ー>「上野千鶴子先生とノブレスオブリージュ」)やマイケル・サンデル先生(ー>「社会を分断し格差を広げるもの」)も繰り返しおっしゃっている。

よく、働きすぎで死んだ奴はいない、と言われるが、これは間違い。
プレッシャーのかかる仕事の過労で亡くなったり心身を壊して立ち直れていない同級生は何人もいる。
その(仕事)環境においてオーナーシップをある程度発揮できるのか、全くオーナーシップを発揮できないのかによって心身の疲れ方は全く違う。
オーナーシップを発揮できる環境にありながら、逃げるというのは責任感がなさすぎると思うが、
オーナーシップの発揮できない環境において、これ以上は壊れてしまうと思うなら辞める(逃げる)という選択肢も悪くないと思う。
逃げて別の環境に移るというのもよい選択になるかもしれない。しかし、そうはいっても責任感やら肉親の情から、そう簡単に逃げるというわけにいかないケースも多く、今回の事件もそう。
社会は時代とともに良くならないといけないと思うが、時代とともに少々悪化している面がある。


マニュアル通りの定型的な仕事を速くこなすことが好きな人もいれば、非定型業務になると力を発揮する人もいるし、ゼネラリストとしての能力を評価してほしい人もいれば、専門家としての能力を評価してほしい人もいる。
何を言わんとしているかというと多様な働き方が模索される時代における新しい人事制度が重要な時代になったということ。(−>「拝啓人事部長」)
会社がどういう環境を作れるかということは非常に重要。多様な働き方に合わせてきちんと評価とリターンを決めるのは結構難しい(人事制度は奥が深い。下手な制度を作るとsugar社員を増やすことになるし、優秀な社員ほど辞めてしまう。)